浪江町の様子(2019/12/23)

2019年12月23日に福島県浪江町に行ってきました。避難解除がされてからあともうちょいで3年という年月が経っていますが、2020年1月の時点で帰還された方は1227人とのこと。

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(浪江町サイトより)

 

2018年1月の時点で490人だったとのことなので(↓記事参照)、2年で少しずつではありながらも帰還された方は増えているようです。
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浪江まで

浪江町に来るときには富岡から代行バスを使用しました。

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常磐線の富岡〜浪江間は東日本大震災以降不通が続いていますが、2020年3月14日に運行が再開されるそうです。自分が乗った日も普通電車の試運転が行われていました。

代行バスの車窓の様子は写す気になれなかったので他のサイトに譲りますが、以前(2017年と2018年)に乗った際との大きな変化は、双葉駅周辺が帰還困難区域ではなくなっており(見間違いでなければ)、建物の解体と除染が進められていたということでした。車内で見た限り、駅周辺の一部だけだったような気がするのですが… ここだけ除染して帰還を進めるつもりなのでしょうか?

浪江駅~浪江町役場

浪江町につくと駅前は割と綺麗になっていました。自分は2018年の1月に一度来ていますが、そのときには被災したまま残されていた建物は結構な数が解体されていました。残った建物も順次解体が進められていくようです。

新しく建てられた建物が増えてきたぶん、震災当時のまま残されている建物とのコントラストが目立ちます。ただ、これらもいずれは解体され新しい建物となっていくでしょう。

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震災前に店舗だった建物は、多くが造成工事や除染業に携わる業者の事務所として使われていました。かつてワークマンやダイソーしまむらだった建物が復興の拠点となっています。

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昼は浪江町役場のすぐ隣にある、まちなみマルシェ内のお店でいただきました。
町ゆく人はやはり工事関係者の方が多く、たくさんの人が食事を求めてまちなみマルシェや周辺のコンビニ・弁当屋に集まっていました。

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お店で出された料理はおいしそうで本来なら写真を撮っているところだったのでしょうが、ビールを飲みながら黙ってテレビをずっと見ているお年寄りの方が気になって写真を撮る気になれませんでした。震災後に生きがいを失って仮設住宅で何をするでもなく1日を過ごすお年寄りの方の姿をテレビでよく見ていて、その姿と重なったので… 震災がなければこの方もここで何をするでもなくテレビを見て過ごす、そんな暮らしはしていなかったのではなかろうか… そんなことを考えていました。

海へ

海へ行こうと向かった途中、これまで放置してあったと思われる中古車をトラックに積んでいる様子を見かけました。これから処分をしていくのでしょう。

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 この先帰還困難区域という看板が重く映ります。

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この写真は町内でもかなり太い国道(国道6号と国道114号)の交差点で、この日も多くの車が行き交っていました。といっても平日だったこともあってかほとんどが事業用車両で、白とシルバーの車が行き交う独特の光景を作り出していました。

 

海に近づくにつれて、津波の痕かだんだんと見えてくるようになってきます。
河口まで来ると造成工事が進められている様子が見られました。
写真で煙(水蒸気?)をあげているのは廃棄物処理減容化施設で、指定廃棄物(1キログラム当たり8,000ベクレルを超える放射性物質を含み、環境大臣が指定した廃棄物)を焼却などして容量を減らし、保管しやすくするそうです。

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遠くに請戸小学校が見えます。津波に襲われ現在は使用されていませんが、震災遺構として保存する動きがあるようです。

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海の近くはダンプ車の往来が激しかったので、これ以上近づくのはやめておきました。

夕暮れ

バスに乗るべく再び町まで帰ってきました。
町の北にある国道と川の間では造成工事が進んでいます。

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街中では民家の解体も進んでいます。 f:id:jt_noSke:20200211161453j:plain

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解体され空き地となったその先に「おかえりなさい がんばろう!」というメッセージが見えます。f:id:jt_noSke:20200211161613j:plain

 

神社にはブルーシートが張られていました。この前の台風の影響でしょうか。

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試運転の車両が運休区間へ向け出発しました。

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歩いてみて

正直なところ、語弊を恐れず言えば「生命維持装置につながれてかろうじて生かされている町」、そういう印象を受けました。確かに町では多くの人が働いていて車通りも多く、飲食店も賑わいはあったのですが、どうも人工的な感触があり、彼らは今の土地造成工事、除染作業という仕事のためにここへ来ているだけなのではないか、その仕事が終わったら去ってしまうのではないか、そうなったらこの町はどういう姿になるのだろうか、そのようなことを考えました。

ただ、我々が復興道半ばにあって前に進もうとしている浪江町を忘れてしまうと、本当にこの町は死んでしまうのではないか、そのような感もありました。2020年3月14日に常磐線が全線復旧すると、浪江町は今よりも訪れやすい町になっていくと思うので、また来てうまいもんを食っておみやげを買って帰ろうと思います。

 

終わりに

12月に行ったものをなぜ今ごろ、というのはありますが、相当悩んで最初は書かないでおこうかとも思いました。が、最近Twitterはてブで注目されたパプリカの記事があり、なるほど震災かぁ、と、書くとしたら今かなぁと。

jp.quora.com

 パプリカの花言葉は「君を忘れない」だそうですが、復興に向けて進んでいこうとしている、苦闘を続けている地域があることも「忘れない」でほしい。涙が出た、感動した、それだけでは済まない現実がある中で。そのようなことを思いました。